私が東京雪合戦連盟を設立した訳(その2)

2015年末いよいよ起業

2018年12月18日 雪合戦の専門会社ぶーにゃんコミュニケーション株式会社を設立。

初めは、とある区の公的インキュベーション施設に事業計画と自分の夢を描いた15分のプレゼンテーションをしました。あの頃の自分では出来る限りの事をしたつもりでしたが、あえなく落選。それで、品川区内に事務所を構えて始めました。世の中には、私の会社を知る人は誰もいません。ましてやお遊びの一つとして考えられている雪合戦が冬季オリンピック採用を目指すなんと言われても雲をつかむ話しに過ぎません。

2016年2月 雪合戦京浜地区の戦いを開催

それで、翌2016年の2月に神奈川県川崎市の富士通スタジアム川崎(旧 川崎球場)で神奈川県内で初めての雪合戦大会を行う事にしました。スタッフの人集め、集客に関する告知、ゲーム運営のスタッフ、審判を整える事、そして今まで前例のないスポーツ種目で公的な会場を借りる為の説明や川崎市の後援など、短期間にしなければならない事を妻と二人で夜遅くまで準備し、新聞やタウン誌、そしてFM横浜からの生出演など願ってもない告知が出来ました。

試合後のチーム自由人のみなさん

 

また、参加チームがどれだけ揃うのかがとても不安でした。東京や神奈川で北関東など地方の雪合戦大会に出られているチームが10チームぐらいでしたが、なかなかコンタクトが取れず、一般の部は5チーム、小学生の子供の部は3チームが揃い一応の形が取れました。

 

 

大会の結果は子供の部は地元川崎市の小学生チームが優勝。 一方、大人の方はチーム自由人対ユキタノの社会人のチーム同士の決勝戦対決は最終第三セットまでもつれ込む大接戦でしかも時間内に決着が着かずにヴィクトリースロー戦(サッカーのPK戦のように両チーム5人づつが6メートル先の雪ダルマを落とす為に、投げ合う事)でユキタノの優勝となりました。

 

当日は、神奈川県のテレビ局、東京から地上波、地元川崎のケーブルテレビと3社のテレビ局取材やネット配信記者が「雪合戦京浜地区の戦い」の取材が有りました。限定的ではありますが、関東での雪合戦の普及に繋げられたと自負しています。自社としてマスコミにどう対応すべきか、そして私たちの求めるターゲット層にどのようにお伝えするかを教えてくれた記念すべき大会となりました。

 

 

また、自社でビデオや写真のカメラマンを雇い、動画サイトを利用してリアルなスポーツをみなさまにお届けして行きたいと感じるようになりました。(当時は記録映像程度としか考えていませんでした。)これが起点となり、雪合戦をしらない多くの人々に向けて見せる事を真剣に考えられる様になりました。

伊吹山雪合戦と盛夏雪合戦2016の失敗

 

その後、ぶーにゃんコミュニケーション株式会社が訴えている「いつでもどこでも、誰とでも楽しめる雪合戦」をお届けする為、

7月の中旬に滋賀県米原市での雪合戦大会とお盆時期の8月に東京都調布市の味の素スタジアム横の投てき場を借り、青い芝の上で雪合戦大会を行いました。しかし…

 

次週 私が東京雪合戦連盟を設立した訳は(その3)に続く